CMプロデューサーの憂鬱その④
|仕事がない、それが憂鬱のナンバーワン。
何もすることがないのはプロデューサー生命の終わり。
仕事(受注)は2種類あります。
会社に来る仕事、そして自分に来る仕事。
<レギュラー>と呼ばれる以前から会社に来ていた仕事は、先輩から後輩に受け継がれ会社の財産として継続する。レギュラーを受注するプロデューサーは社内のエリートたち。それに比べ、エリート路線からこぼれたプロデューサーは、競合などの<イレギュラー>な仕事で新規獲得で受注するしかない。積極的に競合に参加して自分を売り込んでいく。
<レギュラー>はある程度作戦が定着している分、予測可能なCM。<イレギュラー>は新規の仕事なので、実はそこからチャンスが広がることが多い。新規案件は大化けする可能性を秘めている。何故なら、CMはいつも時代の最先端案件。PCや通信・ネットワーク技術・保険など時代を彩るCMになることが多い。ただそれは容易なことではない。
1本数千万円の仕事から300万円の仕事まで受注できる可能性は高額なほどハードルは高く、会社の信頼性(高品位なチーム)が優先される。よほどのことがない限り(会社倒産や犯罪などの事故が起こった場合など)前回担当制作会社から別な制作会社に仕事が変わることはない。
発注者のCDには複数のプロデューサー(他社)が張り付き受注を待っている。その最後尾に並んでも受注できるのは年一回あるかどうか。CDは国内に数百人いるが、受注を待つプロデューサーはその10倍から20倍。当たり前に仕事は受注できない。
CDが仕事の合間に営業を受ける時間も限られ、CD面会もそうそう簡単ではなく、会えばあったで何か得るものがなければ次の面会を受けることもない。自分が最年少プロデューサーだとしたら過去の実績もないわけで、そうなると八方ふさがりという状況になる。
会社は1年は待ってくれるが2年目は待ってくれない。
次の世代が台頭してくるわけで、プロデューサー降格となったら次はない。一生制作進行かラインプロデューサー(誰かのアシスタント)となる。平均7年から8年目あたり、年齢でいうと30~32才くらいでこの壁に当たるわけだ。
私たちの会社は小さく、そんな年齢までは待ってくれなかった。制作4年目にアシスタントPとなり半年後プロデューサーデビューとなった。27才でスーツを着た。ただネクタイはしなかった。
営業って何?それも知らない。
お茶を飲んでいただく。ただそれだけ。
相手の空いている時間はだいたい午前11時~12時、午後3時~4時と限られている。会議や実作業に追われるCDのお茶飲み友達。それから始めた。話題はない。パカパカとタバコを吸い、ゴクゴクとコーヒーを飲む。おかげで毎日おなかはゴロゴロ鳴っている。昼間の日比谷公園は営業をさぼるおじさん達で空席がないほどだ。その末席を埋める日が続いた。
「話題って何だろう?」
いつもいつも、いつもそればかり考えた。もちろんCMの話題。
ただTVを見ていない私たちはCM自体をよく知らない。ほとんどは取り寄せたビデオで見るCM。8時間労働とかの縛りがない時代、12時間労働は当たり前だった。9時半出社、深夜帰宅。TVを見ることはほとんどない。制作する広告主のライバルのCMを研究用に10本20本と取り寄せる。
ビデオ●●●●という会社はそれだけで食えるほど受注(1980年代後半、CM1本@1万5千円)があり、研究用ビデオは会社に山積みにあった。
本社副社長に呼ばれた。
「いいか、プロデューサーは3人の制作の給料も払わなきゃならない」
「自分も入れて4人分。そのためには数字に強くなれ! 数字を知っていればだれにも負けない。数字は品質と同じで最も大事なことだよ」
制作進行(プロダクションマネージャー)は年6本から7本の制作でいっぱい。だいたい2か月に1本の計算、あとは誰かのアシスタント。最多でも10本やれば十分だったがプロデューサーは最低10本、最高が何本でもいい。本数掛ける平均単価1,200万が売り上げとなる。
プロデューサーノルマ最低2億円となると15本は必要となる。
レギュラーを持てば10本は確実。最多で20本となる場合はラインプロデューサーをつけて対応する。
競合の仕事は単発もあれば新規のシリーズもある。予算もバラバラ。ただ質のいい仕事は少ない。官庁やら財団法人やら商品やサービスを持たない告知みたいなことが多くある。競合10社とか多くは50社とか、参加費は持ち出しが多く、出費はそのまま赤字になる。
広告主も広告会社も制作会社もランクがある。A級の広告主にはA級の広告会社、そしてA級のCD。制作会社もA級のエースプロデューサーから新人のC級プロデューサーまで。
C級スタートの私にできること。
ずっとそればかりを考えて日比谷公園のベンチを温めた。
愛読書はCM専門雑誌2誌。隅から隅まで毎日読んだ。制作進行時代、たくさんの先輩と組んだおかげでたくさんの制作方法を学び、その収益率も学んだ。それをこの雑誌に当てはめてみた。
このCMはあいつがプロデューサー、あの人が演出、あのカメラマン。なるほどこんなCMになるのか。だいたい予算もわかった。これが徐々に力を発揮し始めた。
「こんな企画はどれくらいかかるのか?」
CDの疑問に答えることができる。
「こんなスタッフだと予算はどれくらいかな?」その疑問に回答できた。
企画から見積を建てるのがプロデューサーの仕事ですが、
グロスで1,000万円と2,000万円では何が違うか?
それはスタッフも手法も全く違うわけで、ロケでもスタジオでも予算は大きく変わります。月刊誌に掲載されているCMを暗記し始めた。最高過去3年分は覚えた。すると、あちこちの企画に呼ばれるようになった。
「ハワイでこんなことできるかな?」
「CGでこんなのやったらどれくらいの時間が掛かるかな?」
CDはいつも予算最大の仕事がしたい。だからいつもとなりにプロデューサーはいて欲しい。でもA級プロデューサーは暇じゃない。その隙間を埋めていった。
苦しかったデビュー時代はこうして日比谷公園のおじさん達に紛れて、暗記した情報分析でスタートし、のちにこれは制作時の予算折衝や広告会社の利益率計算にも役立った。
CM制作のCDにも利益率が要請され、各社12%以上確保しなければならない。CDは全額制作会社に渡せばいい時代は終わり、制作会社を値切って12%以上確保しなければ評価されなくなったからだ。
3,000万予算ならCM制作会社には2,650万円まで。CM制作会社はそれを2,000万円で制作しなければ(実質25%の利益率)会社は存続しない。CDの立場で3,000万予算を想定し、自社の2,000万円制作を実行する。
ハワイロケは行くだけで3,000万円、
グァムあたりは2,000万円。オーストラリアで3,500万円から4,000万円。アメリカロケなら4,000万円以上。
これをタイで2,500万円を切る価格で想定した。平均単価1,200万円時代、2,500万円なら2本分。2本グロスで制作すればタイでハワイやオーストラリアでやるようなロケが可能。これが当たった。
日本のCG制作なら1,000万円掛かるところを香港CGなら750万円でできる。
撮影込みで2,000万円以内に香港仕上げが可能になる。閉鎖的な川崎あたりのスタジオで2,000万円を使うより、海外で2,500万円でつくることのほうが良質で高品位なものが期待できる。そして国内で息の詰まる仕事から一時的に解放される。CDもそれを望んできた。
スタジオ単発よりもロケでのグロス。
これが私の定番となっていった。もちろんロケは一発勝負のところも多く、現地スタッフとのコミュニケーション。特にロケ費用の計算が第一になる。ロケハンにCDと演出を連れて先発隊。危険をこの時に全部潰しておく。警察協力の必要なところは現地警察にも出かけていく。なにしろCD(仕事の責任者)・プロデューサー(制作の責任者)・演出(現場の責任者)がそろっているわけで、常に即決。回答を待つこともなくYES/NOが即答だから相手も仕事はしやすい。
「営業して仕事を獲得する」という常識を、「企画の読む分析」に変えた自分だけのオリジナル営業はこうして開発された。競合では<勝つ企画>はもちろん最重要課題。勝ち続けることでしか結果は出ない。ただ、最初から勝てる人はなく負けが混んできたときが勝負時。なぜ負けたのかはオンエアを見ればわかる。CDにそれを進言した。
負けたなら次に勝つにはどうしたらいい。
負けた瞬間からそれを考えた。勝率が上がって5割を超えたとき、それは組んだことのないCDからのオーダーを呼び寄せることになった。
「コンペに強いプロデューサー」
いい企画だから勝つわけじゃない。泥臭い勝ちもある。
プロデューサーの受注はほとんどが広告会社の会議室の中。
「こんな企画があるんだけど、やらない?」
そう言われるまでじっと我慢。そのためには競合(コンペ)に積極的に参加して貢献しなければならない。広告会社の会議室にいることが大事だ。
ランチを捨てた。
会議はどうしても時間が掛かる。だから次回持ち越しになる。ランチタイムをそれに当てれば会議は1回で済む。
<パワーランチ>はだめだ。
食べながらのアイディアは追い込まれない。
空腹で追い込まれた中からいい企画(ギリギリのアイディア)が生まれる。会議の数が減ればそれだけ営業する機会も増える。濃密な会議に出ることでいい企画に出会うことが増えた。それはそのまま仕事の品質になっていく。
四半期ベースの広告の仕事は、大きな仕事になると半期ベースや年ベースになる。夏に冬の企画。秋に来年の秋の企画。新商品のコンペに呼ばれるようになった。億単位のビジネスは広告会社の最大の見せ場。新規獲得したCDは会社の顔になっていくからだ。CDの出世が一番うれしい。CDはプロデューサーにとって顧客であると同時に家族みたいなもの。CDが局長になってくれたらそれが一番の宝物だ。
プロデューサーの生命は15年から20年。その間どれだけのCDに貢献したか。
そのCDはクリエーター・オブ・ザ・イヤーにノミネートされたか。時代によって活躍するCDは変わっていく。それを支えるプロデューサーはCDひとりに平均5人。そのひとりになり、その時代を作っていく。
表の顔がCDと演出、裏を支えるのがプロデューサー。
お互いの信頼によっていい企画が生まれていく。CDの相棒になれるまで自分を磨いていくしかない。その磨き方は自由だ。「こんな企画あるんだ。やらない?」と言われるまで全力で自分を磨くこと。それをCDはちゃんと見ていてくれるから。演出はいいプロデューサーを求めている。現場ではいつも戦う敵のように「それはだめだ!」と演出のプランに反対する役。何故なら必要最低限の費用しかかけられない。マネージングディレクターとして阻止しなければならないから。
「いつも胃が痛いのね」
そうですね、いつも胃が痛いです。スポーツのように純粋じゃない。妬みや嫌がらせは一年中付きまとう世界。政治家みたいにドロドロはしていませんが、CDをめぐる仕事の受注には金と女はよく登場します。広告会社のトイレに貼り紙があったり、ロールになったFAXが送られてきたり、ドラマはすぐ近くで起こります。クルマを買ってもらった人、ゴルフ会員権をもらった人、CDと同じマンションに住み移っていく人…話題はスキャンダラスにあふれています。
CDには転勤がつきものです。
広告会社は東京・大阪・名古屋・福岡を有能なCDで回していきます。CDが転勤したらもう受注はできません。現地の制作会社との関係のほうが濃いからです。3年後5年後また東京復帰してくれたならあり得ますが、転勤されたらそこで関係は途切れます。東京の予算を100としたら大阪は85、名古屋は80。東京の会社にわざわざ出すことはできなくなります。
ホッとできる場所。
ロケ地で毎回CDや演出と飲む酒でしょう。とプロデューサーの皆さん口をそろえると思います。私の場合は北海道でした。海産物に舌鼓を打ち、これから始まるロケを想定した前祝い。東京の会議室で胃の痛い思いで考えたプランを実行する場。お酒が美味しいのは当たり前です。やっと来られたロケ地で、現場の責任者のロケコーディネーターと再会することは最大の喜びでした。
カンヌ出張
ほとんどのプロデューサーはカンヌで打ちのめされます。レベルの違いもそうですが、制作費があきらかに欧米とは違います。映画みたいなシチュエーション(ロケの使える範囲が映画並みにある)、30秒以上のCM、ナイキやアディダスのように国を超えたコミュニケーションに圧倒されます。そしてみんな若いスタッフがそこで活躍している。クリエイティブの土壌の違いを見せつけられます。
「負けてたまるか!」という意識ではなく、「かなわんなあ…この違いは」と映像の本場の力量をいやというほど見せられる。みんなここでいったんスタートライン(クリエイティブの本質)に戻されるって感じですかね。
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