|ステットソンの誕生
レンガ職人だったジョン・バターソン・ステットソンは工場の焼失で職を失い、病弱だったジョンは健康を取り戻すために旅に出る。その旅先で新しい帽子づくりのヒントを得て、1865年姉からの援助で親譲りの帽子職人としてフィラデルフィアで創業。
旅先のヒントとは、革のなめし技術を応用したこと。
当時すぐに傷んでしまうハットを改良したことが賛同を得て、独立のきっかけとなった。
その初代作品【Boss Of The Plains】(強い日差しから守るために広くフラットなブリム。馬に水を飲ませるために深く大きなクラウン。そして丁寧ななめし技術)が西部開拓者のハートを掴み、リーバイス・トニーラマと共にウェスタンのトレードマークに。
ジョン・B・バターソンのヒット作品は時代を席巻するハットとなり、やがてハットのスタンダードとなりました。初の大陸間旅客機ボーイング307就航記念【Stratoliner】、リンドン・ジョンソン大統領応援ハット【Open Road】、映画【Indiana Jones】ではジョーンズ博士の冒険ハットとアメリカン・スピリッツの象徴として150年以上経ったいまも変わらぬ人気のハットブランドです。
![stetson hat]()
<ステットソン・ハット成功の秘密>
フィラデルフィアは帽子産業が盛んな街、ここでステットソンが成功したのには訳があります。
それは革新的な経営理念と直感的なマーケティング。
ほとんどが手作業の帽子製造では熟練工の技術で支えられています。早くから彼らの社会保障制度を導入し、安定した雇用の中で生まれる質の高い技術で大量生産を可能にした結果、年間330万個製造という全米一のハットファクトリーにさせたのです。
![Stetson Factory]()
クリスマスボーナス・株式・年金・社会保険・そして住宅購入資金の援助と、社員に喜ばれるカンパニー<ステットソン>を確立しました。ファクトリーは強靭なレンガで作られ、自動スプリンクラー・各フロアの消火器設置など安全性の高い世界最高水準のハットファクトリー。そして敷地に隣接し病院・図書館・講堂など<いい仕事をする環境>を整備しました。「公正な価格でいい仕事をする」ステットソン理念は内部からきちんと育てられました。
![Stetson Factory]()
若い労働者を教育するプログラムや金利の低いローンでの住宅建築資金の援助。クリスマスには社員全員を集めた表彰パーティと社員の士気がとても高いハットブランドをつくる一方、フィラデルフィアのYMCAや慈善活動団体にも尽力を注ぎ、 1888年に彼はフロリダ州デランドにあるアカデミーをデランド大学とし、その後その名をStetson大学に変更しました。
大学はリベラルアーツ、音楽そしてビジネスカリキュラムを提供しました。
フロリダ州セントピーターズバーグには、ステットソン・ユニバーシティ・カレッジ・オブ・ローを建設、いまもなお優秀な学生を送り出しています。
![Stetson Univ.]()
![College of law]()
商品開発ではヒット作を生み出していきます。
19世紀のアメリカ交通は馬上が主流。【Boss Of The Plains】に始まったウェスタンハットとしての信頼性から、騎兵隊や軍警察・森林警備隊のパトロール用ハット【Campaine Hat】が生まれます。メキシコのソンブレロをヒントにしたブリムの大きなハットです。
![Campaine Hat]()
日焼けが命取りになる外回りの仕事には、クラウンの四隅が窪みをつけたスタイルが採用されました。
![Campaine Hat]()
キャンペーンハットは、スカウト活動創設者イギリス人のバーデン・パウエルが着用し、のちにベレー帽に代わるまで世界中の国のボーイスカウトやガールスカウトに採用されました。早くから広告にも力を入れ、ステットソンの名前は全米に定着していきます。
![Stetson Ads]()
1930年代、ショートブリムの【Whipett】が登場、瞬く間にヒット作となります。
スーツとウィペットは抜群のマッチング。暗黒街のマフィアからハリウッドスターまでウィペットは定着していきます。
1940年世界初の大陸間旅客機ボーイング307が就航、そのタイアップ商品として【Stratoliner】が誕生、残念ながら太平洋戦争勃発のため307は10機しか作られない幻の飛行機になりましたが、ステットソン・ストラトライナーはその薄いファーと上質感からヒット作として現在も主流のハットとなっています。
![Stetson Hatcase]()
![Stetson Ads]()
1963年若き大統領ケネディは、就任式にフォートワース市からStetsonハットを贈られた。
だが「帽子は被らない」と言う信念のケネディはこれを断り、のちに暗殺された。
![JFK]()
副大統領だったリンドン・ジョンソンはこのハットを被り大統領キャンペーンを行い見事に当選。
大統領への道のり【Open Road】はこうして歴代大統領が被る帽子に定着していきます。アイゼンハワー・トルーマン以降数々の大統領がオープンロードを愛用しています。
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Gerald Rudolph “Jerry” Ford, Jr 38代大統領
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Ronald Wilson Reagan 40代大統領
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George Herbert Walker Bush 41代大統領
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William Jefferson “Bill” Clinton 42代大統領
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George Walker Bush 43代大統領
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Barack Hussein Obama II 44代大統領
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Donald John Trump 45代大統領
1970年代初頭にライフスタイルが変わり、帽子を被らない人が増えたため、フィラデルフィア工場が閉鎖となり、以降親会社Hat.Co社がそのブランド製造を引き継ぎ、現在は傘下のDobbsやResistolとともにテキサス州ガーランド工場にて多くのブランドを生産中。
数々のハリウッド映画で登場するステットソンハット
![Indiana-Jones]()
![an officer & the gentleman]()
![sting]()
![broke back mountain]()
ダラス・バイヤーズ・クラブでアカデミー賞主演男優賞を受賞したマシュー・マコノヒーはSTETSONカタログでも表紙を飾っていました。
![Dallas Buyers Club pin up]()
<ステットソン・トゥデイ>
20世紀終わりからステットソンは多角化し、ライフスタイルブランドとしてアパレル・フットウェア・コスメティックス・ホームグッズなどを展開、ヨーロッパでもライセンス契約をしています。2015年の150周年ではNASCARの中心選手オースティン・ディロンとのコラボレーションも成功させています。
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<パーク・レンジャー・ハット>
1930年ヨセミテ国立公園パークレンジャーに提供されたキャンペーンハットは、いまやアメリカ国立公園を守るレンジャーたちの公式ハット。たとえ危険が迫っていても、このハットを見れば「ああ、レンジャーが来てくれた」と誰もが安心するハットになりました。
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<ステットソン・EU>
ステットソンはドイツを中心にEUアパレルを主導します。アイスホッケーチームへの協力もその一環です。ウィンタースポーツに熱いEUにHATファッションはマストアイテム。
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引用および参照
STETSON EDUCATION
STETSON HISTORY