Hey3hatterのエピソード1
2005年初頭、とある料亭の席でお会いしたのがスターウォーズのVFXスーパーバイザー、リチャード・エドランド。もちろん英語など話せない私はまともな会話ができるわけじゃなく、集まったメインスタッフのひとりとして会社のスタートイベントとしてその席にいた。
洋画・邦画というくくりを無視したデジタルコンテンツ会社。リチャードはその会長だった。
VFXとカッコよく見えるが日本語では特撮監督。美術と視覚効果の総監督。リチャードは映画の中で描かれるものの著作権を持っていた。日本でいうキャラクタービジネスがリチャードひとりの手に。あのスターウォーズグッズはリチャードがうんと言えば販売できるわけだ。
日本ではありえない個人の持つ力がハリウッドの魅力。
ただリチャードはスターウォーズ製作時のILM(インダストリアル・ライト・アンド・マジック)を飛び出しBOSS FILMを立ち上げる際、多大にかかるCGIの機材費などのためにプロデューサーのジョージ・ルーカスに驚くほどの安価でそれを譲渡していた(いまはDISNEYのもの)。
リチャードが日本の会社の会長になったのは、実は日本との縁が深かったためだ。USマリーンの厚木基地に写真担当として赴任していた時、小津や黒沢映画に強く影響を受け、サザンキャル(南カリフォルニア大)卒後、映画製作に関わった。この時まだCGがない時代。
日本ではウルトラマンで有名なワイヤーやミニチュアが全盛期。リチャードはこのミニチュアづくりが得意だった。ILMでの宇宙の中の世界や近未来飛行体づくりはリチャードの世界だったから。
リチャードが写真家として小津のスタティックな構図と黒沢の大胆なアングルをVFXの中に仕込み、視覚効果としてのダイナミックな映像づくりを完成していった一方、フィルム合成でのミニチュアとのサイズ感の違いをマッチングさせるために必要なもの。それはモーション・コントロール・カメラ。師匠のジョン・ダイクストラが開発したダイクストラ・カメラさらに進化させたロボットアームカメラ<エンパイア・システム>を完成させた。
1980年代すでにVR(ヴァーチャルリアリティ)の世界に挑戦していたリチャード。ただの合成オプチカルでは満足できない。映画はライブ感、立体的映像に向かっていった。ただこれは膨大な費用が掛かる。リチャードは実現のために流れ出る製作費を止める事が出来ず、自分の持つ著作権を切り売りしながら映画製作に没頭した。
<ダイハード><エイリアン3><レイダース・失われたアーク><ゴーストバスターズ>でVFXのスーパーバイザーの地位を大きくクローズアップさせ、アカデミー賞視覚効果部門審査委員長(永久資格)にもなった。
実際にこのオスカーを手に持たせてもらったが、重量感よりも誇り(プライド)が重かった。
リチャードは言う。「最後まであきらめない。なんでも同じさ」
登山家のようなセリフだ。
日米映画の枠組みを超えた会社のプロジェクトはいくつかの失敗により撤退となったが、80才を超えるようなリチャードのひと言「50・60は洟垂れ小僧。70・80が現役のハリウッドを超えてみろ!」
生涯現役を続けるクリエーターの夢は尽きない。
インディアナ・ジョーンズ教授のハットがSTETSONというのも何かの縁かな。